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津山民芸社 作州牛
竹細工の十二支
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作州の竹細工 作州牛 文化・歴史
2012 年10 月 3 日(水)
日本民芸展奨励賞受賞
全国郷土民芸品審査会受賞

岡山県特産作州牛
意匠登録第一七一五三O号

古く播磨から吉備の国(備前、備中、備後、美作の総称)は牛の飼育が盛んで有った事は文献にも明らかであり、且つ牛を祭神とした御社を所々に見受けることがそれをもの語っている。

又作州牛は神
牛の血を引き強力で智性にとんでいるといわれ、中期以後畿内で役牛の王座をしめ天王寺その他に牛市場の出来たのも其の頃であった。

(日本山海名物図会)と云う書物の中に「備前備中の国多く牛を飼って子を産
す即ちこれを天王寺におくる。

年中備前備中より牛を引き来ること日々たえず」と、あって備前、備中から子牛を天王寺にのぼらせていた事が知られる。

後、天明の頃から次第に美作の地に比重がたかまり、幕末には美作が「登り牛」の中心となり畿内の和牛流通市場を潤歩した作州牛が東牛とよばれ備中牛は西牛とよばれ西中国の農村で重宝がられた。

山間部の作州では大型の「こつとい牛」を飼い、これを労力のいる南部遠く四国の農村まで貸し、その代償として米を貰う習慣があった。

この出稼ぎする働き牛を鞍下午と云う。

この鞍下午が春から夏にかけて赤いかざりをつけ、三々五々村から村へと続く姿は実に吉備ひろはらの風物詩であった。

民芸品、作州牛はこのような和牛をいろいろな竹材で象った、岡山県の代表的な郷土玩具です。

昭和三十七年岡山国体に際しては、昭和天皇皇后両陛下の御目にとまり御孫浩宮様へのおみやげとして、昭和四十二年植樹祭に於て後楽園、湯原温泉など各地で再三の御買上の栄を賜わり昭和五十一年岡山インターハイに際しては皇太子殿下美智子妃殿下浩宮様に郷土民芸品の実演の栄に浴しました。

昭和天皇皇后
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