河原町とその通り |
2013. 11. 16(土) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
河原町 【かわらまち】 十七世紀初め頃の話を伝える記事の中で「瓦町」が見られ、これが「河原町」を指していると考えられる。 正保二年(一六四五)の絵図では町の東南半分は足軽町となっているが、後の絵 ...続きを読む |
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伏見町とイズミ |
2013. 11. 16(土) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
伏見町 【ふしみちょう】 城下町ができつつある頃、初めは道筋の南側のみに家が建ち並んでいたので片原町と称したと言われる。後に、両側に家が建ち並び、元禄十二年(一六九九)に伏見町に改めたという。 ...続きを読む |
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材木町と東大番所跡 |
2013. 11. 9(土) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
材木町 【ざいもくまち】 津山城築城当時、用材置き場があったこの地にあったため、その名が付いたと伝えられる。江戸時代には材木商や大工などが多く居住していたことが資料からわかっている。宮川大橋の西 ...続きを読む |
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橋本町と宮川大橋 |
2013. 11. 9(土) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
橋本町 【はしもとまち】 宮川大橋の東詰めに屈曲して南北に長く形成された町人町で、町の名はこの橋に由来する。元和三年(一六一七)頃には、林田町や勝間田町と共に、林田町と呼ばれていたが、その後三町 ...続きを読む |
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林田町とその町並み |
2013. 11. 9(土) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
林田町 【はいだまち】 宮川より東に広がる林田【はいだ】郷では、城下町の発展につれて、東に延びる街道沿いに町並みが形成され、元和三年(一六一七)には(旧)林田町【はいだまち】(後の橋本町【はしもと ...続きを読む |
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勝間田町と商屋 |
2013. 11. 6(水) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
勝間田町 【かつまだまち】 最初の津山城主 森 忠政は、作州一円から商人を集めて城下町を作らせたが、この町もその一つである。 勝南郡勝間田村(現在の勝田郡勝央町)付近からの来住者によってできた町 ...続きを読む |
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中之町と作州城東屋敷 |
2013. 12. 15(日) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
中之町 【なかのちょう】 中之町の名は、新町(東新町、西新町)と林田町(橋本町、林田町、勝間田町)の中間にあることに由来するという。 宮川以東に形成されていった林田町からは東には、街道沿いに足軽 ...続きを読む |
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西新町と町家 |
2013. 12. 18(水) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
西新町 【にししんまち】 早くから交通の要地として開け、元和年間の終わり頃には町家が立ち並び、林田新町と呼ばれていた。寛永三年に城下町に編入されてからは東西に分けられ、西新町、東新町となった。 ...続きを読む |
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東新町の道なり |
2013. 12. 18(水) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
東新町 【ひがししんまち】 出雲街道沿いの城東地区は、元は町人町と足軽町の混在地で、寛永三年(一六二六)に城下町に編入される前は林田新町と呼ばれ、この時、東新町と西新町に分かれたという。 城下町 ...続きを読む |
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上之町と大隅神社 |
2013. 12. 19(木) |
観光 / 町歩き 城東地区 |
上之町 【うえのちょう】 上之町の東端の町であり、城下とはいえ、このあたりは田畑の多い地域であった。森忠政入封の際、瓦師の赤染部一族が移住し津山城の瓦を制作したことから、瓦屋小路の地名が残る。 ...続きを読む |
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