材木町 【ざいもくまち】
津山城築城当時、用材置き場があったこの地にあったため、その名が付いたと伝えられる。江戸時代には材木商や大工などが多く居住していたことが資料からわかっている。宮川大橋の西詰には大番所や制札場があり、城下町東の関門として役割を果たしていた。松平藩時代には往来沿いの町並みの南に武家地があり、上級武士達の下屋敷や馬場があった。また、その南の河原は追廻河原または覗河原とも呼ばれ、万人講(富くじ)の会場でもあった。
材木町の地図
商店街@昔ながらの商店街が並ぶ。
商店街A宮川沿いの町の風景。写真中央にある建物は、珍しいワインが売っていると評判の「かわばた」
東大番所跡 江戸時代、城下町の出入り口には軍事面と治安維持の必要から番所が置かれていました。 津山藩では一六七六年(延宝六年)、城下を貫通する出雲街道の東西の二ケ所の入口にそれぞれ大番所を設置して番兵を常駐させていました。 宮川大橋の西詰のこの地には東大番所があり、また宮脇町の翁橋東詰には西大番所がおかれていました。 これらの番所を境に城下を内町と外町に分けて往来の取締まりを行っていました。 現在、宮川大橋を渡った城東地区の出雲街道沿い一、二キロメートルの区間を町並み保存地区に指定しています。 江戸後期から明治を中心とした伝統的な町家が数多く残っています。
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