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船頭町と吉井川 観光 / 町歩き 城西地区
2013 年11 月 12 日(火)

船頭町 【せんどうまち】

 江戸時代、吉井川では数多くの高瀬舟が人や荷物を運び、流通の要となっていた。
 当時、津山の城下町に属する船としては、五十四艘の高瀬舟が運航していた。船主として高瀬舟稼ぎをできるのは船株を持つ者のみで、当初、船主は船頭町の住人だけであったという。
 元禄十年(一六九七)の記録でも、町内に船主や船頭が多く住んでいたことが分かる。



地図
船頭町の地図


町並み
 船頭町の町並み。「今津屋橋」がこの近くにあることから「今津屋橋通り」ともいうし、津山城の別名を「鶴山公園」ということから「鶴山通り」ともいう。



今津屋橋
今津屋橋と高瀬舟 【いまづやばしとたかせぶね】
 津山の代表的建造物として有名な今津屋橋は、吉井川によって二分された南側の津山駅方面と市中心部とを結ぶ大変重要な大橋で、幕末頃は鍛冶場橋とも称され、津山へ来る不審人物をあらためる番所が設けらた。
 一方、一説では平安時代に津山で発祥し全国に広まったとされる高瀬舟が、森忠政公の津山移封(一六〇三年)の後、津山と瀬戸内並びにそれに連なる備前とを往還する交通、公益手段として重要性が認められ、吉井川北岸に階段状の船着場(川戸)が設けらた。
 またこの一帯には藩の御用船を格納管理する舟蔵が建造され、舟宿、回漕問屋、土蔵等が建ち並び賑やかな町に発展し船頭町と名付けられた。
 これらの高瀬舟を藩命により保護監督する船倉蔵元の一人今津屋平蔵が近くに屋敷を構えていたことから今津屋橋とも称され現在に至っている。



三橋神社

船頭町の三橋神社。裏に同名の神社がある。船頭町の三橋神社と小性町の同名神社は夫婦神社で、元々一つの神社ではないかといわれているが定かではない。
 ◆三橋神社...



カッパ
カッパが高瀬舟を引く格好をした銅像。


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