HOME > つやま城下町 町歩き 岡山県津山市
つやま城下町 町歩き
岡山県津山市
メッセージを送る
津山市山下92-1
0868-22-4572

◆ 岡山県北
津山の情報....こちら

カテゴリ一覧
全て表示
町歩き 城東地区 ( 10 )
町歩き 城西地区 ( 30 )
町歩き 津山藩全域 ( 1 )
一覧に戻る
西寺町の寺院 観光 / 町歩き 城西地区
2013 年12 月 8 日(日)

西寺町 【にしてらまち】

 城下町の建設期には、武士や町人など、多種多様な宗派の人々が集まり住むことによって城下町ができた。そうした人々の必要に応じて、津山藩は、城下町の東西の端に各宗派の寺院を集めて寺町を作った。
 東の寺町が丘陵上に配置されたのに対して、西寺町では、町人町から続く主要な街道に沿う形で寺町が形成されていった。
 高い土塀と豪壮な建築物が建ち並ぶ寺町は、城下町の防衛施設と位置づけられることもあった。


地図
西寺町の地図


光厳寺
光厳寺
 今から遡ること約三百七十有余年、時あたかも国主森忠政公が津山城竣工を目前に控え、城下の造りも着々と進捗中であった慶長十九年(一六一四年)豪商蔵合氏の発願により、院庄清眼寺に在りし秀照上人が津山の現在地に移り来たりて開基されたとある。
 その後数年間は、同じく清眼寺と号していたが、延宝二年(一六七四年)極楽寺の山号だけ残して「光厳寺」と改め、現在に至っている。本尊は子育て不動



福泉寺
福泉寺
 薬師如来(医王)が御本尊にて且て森公、松平公の御典医の信仰が厚かった。現今に至るまで衆病平癒、心身安楽、施無畏(せむい)、安産の祈願がなされている。
 又山門正面の立江(たちえ)地蔵堂には行基菩薩が一刀三礼して刻まれたと伝えられる、西向立江地蔵大菩薩(木彫五尺)が祭られ、左手の宝珠は天地に蔵する宝物を授け、右手の錫丈(しゃくじょう)は交通安全、厄難消除、福智円満、進学外諸々の祈願をされる参拝者が絶えないそうだ。


泰安寺
泰安寺
 天崇山泰安寺と称する浄土宗の大本山知恩院の末寺で美作国での大寺である。宇田川三代とその家族たちがここに眠る。
 本尊は阿弥陀如来が祀られている。


本行寺
本行寺
 今からさかのぼること約五百年前の文明(一四六九〜八七)の頃、関東から守兵部保重、堅田浄作入道頼国、その子新左エ門為頼等の武人が美作に来たって林田郷に牢居した。
 此等はいずれも法華宗の信者であったが、当時美作地方には法華宗に属する寺が無かったので、「帝都弘道」の功績ある日像上人を開基とする京都 具足山・妙覚寺の第十二世日寮上人に請いて一寺を建てるを計った。これによって日寮上人は、照知院日立上人を下らしそのことにあたらせたのであるが、日立上人は弘法・布教の才能があり、總法・信宗するものが多く遂に堂宇を丹後山の麓に創建し、延寿山本行寺と称したそうだ。


長安禅寺
長安禅寺
 曹洞宗(大本山は福井県の永平寺、横浜市の総持寺)で、正保元年(一六四四)旭堂嶺朔大和尚が開山。
 本尊は楊柳観世音菩薩の霊仏であり、守護神として火盗消除(防火、盗難除け)の秋葉三尺坊大権現を奉安する。本堂前には水子地蔵を祀り、生命の尊さを唱え、水子観音、子安成長、無難安産のご祈念を行っている。

妙勝寺
妙勝寺
 もとは南新座にあり、慶長九年(一六〇四)に現在の西寺町に移転されたと考えられています。カラフルな造りで目を引く鐘楼門は、鐘の音響が拡散されるようにわざと二階部分を吹き放ちにしているそうです。
本堂にも各所にカラフルな絵模様が施されていて、見る人の目を楽しませてくれます。


寿光寺
福泉寺寿光寺
 赤い門が特徴的なお寺です。元は鳳翔山景徳寺といい、元和年間の創建といわれる。森忠政公の叔父森可政が建立。
松平藩時代には、松平家の菩提寺の一つとなり、松平忠直と、継母の戒名を取り、寿光寺と改められた。
 本尊は聖観世音菩薩であり、鐘楼の北にある鎮守は天神様である。


愛染寺
愛染寺
 鐘楼門の両脇に仁王堂が付属している珍しいもので、下層柱を内転びにするなど細かい技術的工夫がされている。
 鐘楼門及び仁王堂は、岡山県指定文化財建造物に指定され、仁王像は市指定文化財彫刻にも指定されている。
 本尊は千手観世音菩薩。



大円寺
大円寺
 大圓寺は宝暦九年(一七五九)十一月二十六日の大火で全焼している為、創建時の資料が残っておらず、その年代は不確かではあるが、同資料は開祖豪顕の逝去年(一六五三年)から考えて慶長年間(一五九六〜一六一五)であろうとしている。更に万治年間の古地図には善六寺、元禄年間のものには大圓寺とあるので、その間に改号したのだとしている。
 本尊は阿弥陀如来



成道寺
成道寺
 江戸時代初期の慶長九年(一六〇四)に初代津山藩主の森忠政公が建立。松平藩に代わってからは重臣たちの菩提寺として栄えたが、何度となく火災に遭い、現在ある本堂は江戸時代中期に再建された。
 西東三鬼の句碑墓がある。また、その家族の墓もあるそうだ。 
 本尊は阿弥陀如来

一覧に戻る
前のページ | 次のページ
このページのトップへ



©2012 - 2013 pocket bussiness, all rights reserved. みんなの情報交流広場 ポケネス