田町 【たまち】
江戸時代を通して中・上級武士の屋敷が建ち並ぶ武家地であった。町名の由来は元この地が田園地帯であったからとも、町内を縦横五本の道路が直行し、「田」のようであるからとも伝えられている。町の南側は町人地であり、近年まであった大溝によって区切られていた。
田町の地図
田町の町並み@
田町の町並みA
田町の町並みB
津山民芸社昭和二十八年から創業の竹細工の工芸社。かわいい竹細工なのでお土産におひとついかが? ◆ 津山民芸社...
太田家 御譜代の家系で、年寄拡大目付などの役職にあった。 長屋門は屋根が高く、武者窓のみ残すのは東側が回収されたためである。 西にのびた土塀の端近く、覗き窓がある。 庭木の中に土蔵の屋根が見えるのも武家屋敷をしのばせる。
大熊家 津山藩家老大熊家屋敷跡である。東側の道路にかけて大きな一角を占め、城の田町御門正面にあたる。 前方は城壕であった。 この附近で最大の長屋門であったが今は潜戸と門柱のみが残る。
牧家 ひろい長屋門の入口の両側に出格子窓もあって立派な構えである。 内部正面に玄関の式台があったが改造された。 長屋門も以前は生子堀であった。
出雲大社 美作分院 島根県出雲市の大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀っている『出雲大社』の分院で、明治十五年(一八二二年)に津山市の現在の場所に造った。 拝殿こそ神社そのものの造りだが、全体的には近代的な建造物となっている。これは津山市の都市計画のため昭和六十三年(一九八八年)にこの場所へ移転竣工されたからだ。
旧中島病院本館 大正六年に建てられた、津山で最も古い病院建築。木造二階建て、基礎は御影石、外壁は小豆色のモルタル掻き落とし、人造石の柱や窓の枠飾りを配す。建物正面にはポーチが張り出し、その屋根はドーム状につくられている。ポーチの円柱にあるコリント式の柱頭飾りや窓の飾り枠などに、凝った洋風意匠が見られる。平成「二十年、所有者から津山市に建物が寄贈され、翌年から「城西浪漫館」として一般公開されている。
|