中之町 【なかのちょう】
中之町の名は、新町(東新町、西新町)と林田町(橋本町、林田町、勝間田町)の中間にあることに由来するという。 宮川以東に形成されていった林田町からは東には、街道沿いに足軽屋敷が続いていた。そして、そのさらに東にも、新しい町人の町並みが形成されていった。 正保四年(一六四七)、森藩はこの足軽屋敷を廃止したらしく、中之町分の屋敷地を払い下げ、新しく町人町が形成された。
中之町地図
中之町の町並み@
中之町の町並みA
大曲り この街道は、城の防備のため、わざと鍵型につくられていて、幾度も曲がっている。
作州城東屋敷 【さくしゅうじょうとうやしき】 この屋敷の大溝から南は、出雲街道に面した町家の跡地であり、大溝から北は上之町の武家屋敷の跡地だ。 明治八年(一八七五)に日新小学校ができ、その後、小学校の統合により分校に、同三十六年(一九〇二)十二月に廃校になったが、昭和五年(一九三〇)からは「岡山県津山工芸専修校」、後には城東の教育の場として利用されてきた。 そして、平成五年(一九九三)より作州城東屋敷として、整備し活用されることになった。 「男はつらいよ」の最終作(第48作)ロケ地で、寅さんが津山まつりに露店を出すシーンに使われた。
小路地図。城東昔町並み保存地区にある出雲街道と上之町を結ぶ道には通り名がついている。
栴檀小路 【せんだんこうじ】 栴檀の木が小路沿いに植えたれていたことから名付けたられたと考えられている。栴檀の木は高木になり、果実はひび薬、樹木は仏像・木魚・香の材料・家具など用途が広い木である。「栴檀は双葉より芳し」の諺がある。
長柄小路 【ながえこうじ】 慶長八年森忠政公が入封のとき、新面喜左衛門が鍬の柄百挺を献進したとの記録が残っている。当時貴重品だった槍の柄、鍬の柄そして天秤棒などを生産していた地区としてこの名が残るそうだ。当時は脇町、裏町が職人町だった。
松木小路 【まつきこうじ】 北側の上之町に長松寺があり、香寅寺と共に現在の千光寺に併合された。この寺の松の木が名前に由来しているのではないかと考えられている。別名「松の木小路」とも。
福田屋小路 【ふくだやこうじ】 福田屋吉右衛門の屋敷があったことから名付けられた。福田屋が何を商いしていたかは不明。
蘭田小路 【いだこうじ】 城東地区の町づくりが行われた当初は、上之町一帯に水田があり、蘭草も栽培されていた。これがこの小路の名前の由来となる。蘭草は畳表、花筵【はなむしろ】などに加工され重宝されたそうだ。また芯の白い髄はランプや行灯の燈芯にも用いられた。別名「燈芯草」とも。
|