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上之町と大隅神社 観光 / 町歩き 城東地区
2013 年12 月 19 日(木)

上之町 【うえのちょう】

 上之町の東端の町であり、城下とはいえ、このあたりは田畑の多い地域であった。森忠政入封の際、瓦師の赤染部一族が移住し津山城の瓦を制作したことから、瓦屋小路の地名が残る。
 丹後山のふもとには、ペリー来航時にアメリカの国書を翻訳した洋学者・箕作阮甫の祖先の墓所がある。平成十二年に有志によって整備され、今も地域の人々によって守られている。
 現在の公共広場・施設は旧津山東中学校の跡地である。



地図
上之町地図


上之町
上之町町並み。城東保育園の向こうに寺がみえるなど、寺や神社が点在する町。


妙津寺
妙津寺 【みょうつじ】
 現住職の祖母が親寺(大阪)で尼さんになり、岡山へ。その後、岡山で信者さんが増えて地盤が固まったのでそこは他の方にまかせ、昭和八年に信者さんが土地をご有志してくださった津山市へ来て、昭和九年七月仮親会場設立。昭和二十六年現本堂建立。
 御内陣は、日蓮大聖人、日隆聖人、日扇聖人



大隅神社
大隅神社 【おおすみじんじゃ】
 大隅神社は、和銅年間以前より祀られた古社で、この地の山澤、原野を開拓し國造りの化身と崇められた信仰無類の『豊手』という異人が出雲國日隅宮(今の出雲大社)を勧請し、大隅宮と称した。
 当社の縁起・古證文等は、天文年中尼子晴久乱の折、又永禄年中凶徒の災によって紛失したが、宇喜多直家当国領主の時には短剣・銅脛巾・筒丸を奉納したそうだ。
 元の社は、現在地の東六百mの地に祀られていたが、森忠政公が美作国主として鶴山に築城し、城下町が形成されてきた元和六年(一六二〇年)三月に現在地に遷されて以来、大橋以東の産土神として崇敬されている。
 当社は、津山城鬼門守護として代々国主からの崇敬厚く、社領の寄進、社殿の造営・修理がされる。現在の御本殿は貞享三年(一六八六)に再建された。
大隅神社...



入道坂
入道坂 【にゅうどうざか】
 入道坂は、大入道、小入道の二つの坂からなり、その由来は森藩時代に刀工山本土佐守正信入道の屋敷があったからとも、見越入道と呼ばれる妖怪が出没したからだともいわれている。この町から日本法学の草分け津田真道や、日本におけるギリシャ哲学の第一人者 出隆を輩出した。



小路地図

 十三の小路地図。城東昔町並み保存地区にある出雲街道と上之町を結ぶ道には通り名がついている。
西美濃屋小路 美須屋小路 国信小路 関貫小路 栴檀小路 長柄小路 松木小路 福田屋小路 蘭田小路 札場小路 大隅小路 東美濃屋小路 瓦屋小路

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