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つやま城下町 町歩き 観光 / 町歩き 津山藩全域
2013 年12 月 20 日(金)

津山の城下町 【つやまのじょうかまち】

 森忠政公が津山藩主として入封したのは慶長八年(一六〇三)のこと。築城と城下町造成の事業はその翌年から着手した。そして城は元和二年(一六一六)に完成し、城下町はそれから数年遅れて元和の終わり頃に当初に計画されていた範囲の造成を終えた。
 しかし、その後も必要に応じて東・西・南に向けて拡張が進められたので、城下町として十分な機能を備えたものとして完成したのは、着手後およそ六十年を経った寛文の頃(一六六一〜一六七二)のことだった。
 
 
 津山の城下町は、大きく家臣の屋敷地と、商人や職人の町人町、それに神社や寺院の占める寺社地に分けられた。 

 
 侍の屋敷地には城郭の防衛最も重要な場所が選出された。
 「山下」、「田町」、「椿高下」、「御北」、「城代町」、「南新座」、「西新座」、「上之町」、「雑賀町」、「鉄砲町」、「小田中新屋敷」、「東鉄砲町」の十二町。
 

 町人町は、おおむね経済や交通の便宜を考えて定められた。
 そして、城の大手口を中心にして東西に表街道(出雲街道)を通し、その街道に沿った町を町人町の中核とし、城郭に接する場所には有力商人を「京町」と「二階町」に配置した。
 また、各種の職人の町として職種別に裏町や横町といったところが選ばれたそうだ。

 町の名称は、それぞれの由緒や所在地の地形、住民の職種、出身地、地名、成立の新旧などを物語っている。

※写真は津山城(鶴山公園)にある「鶴山館」の建物内に置かれている資料を撮影したもの。


地図@

地図A
上記写真「津山ご城下めぐり旅 〜城東界隈〜」 下記写真「津山ご城下めぐり旅〜城西界隈〜」
「津山ご城下めぐり旅」の地図を片手に、津山城下町をぶら〜りと散歩してみては?

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